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太鼓櫓

 江戸時代には、時を報じるのに太鼓を打っていました。鼓楼は搦手門の傍らにあって、楼上に三鼓を備え、常に番人を置いていて、時刻が来ると予備の刻み打ちを繰り返した後、時の数だけ太鼓を打って時を知らせていました。

 廃城の際、有志によって対岸の白山に鼓楼が新設されて時を報じていましたが、明治10年(1877)頃に本丸、西南隅の現在地に移し、旧制どおり朝6時から夕6時まで偶数時を打つことが昭和18年(1943)まで続きました。

 戦後、太鼓は三ノ丸にあった高遠高等学校で、授業の開始、終了を知らせていましたが、現在は高遠町歴史博物館に展示されています。

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