top of page

無字の碑

伊澤多喜男は明治28年(1895)東京帝国大学法科を卒業した後、警視総監・台湾総督、東京市長・貴族院議員など国家の重要な政務に携わる傍ら、郷里高遠をこよなく愛し、治山、治水に力を尽くしました。
郷土の人々はその高徳を長く顕彰したいと頌徳碑の建設を計画したところ、翁曰く「政治家の頌徳碑を建てるなどとんでもない間違いだ。たとえ善政を敷いたとて、人間の功罪は棺の蓋を覆って初めて表れるというではないか。頌徳碑などまかりならぬ」と断固として承知しませんでした。このことでますます敬慕の情が増すこととなり、許可をもらえぬままついに字を刻まず建てられたのがこの碑です。
bottom of page