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進徳館

進徳館は、高遠藩が藩士の子弟の教育のために開設した学校、いわゆる藩校です。藩校は、幕府が設立した江戸湯島の昌平坂学問所の方針に倣って、儒学、その中でも朱子学を中心に据えて教えました。
進徳館は、松代藩藩校の文武学校と並ぶ、信州の藩校の代表で、多くの人材を育てました。
進徳館の設立は、昌平坂学問所で学んだ中村元起の建議に基づくもので、万延元年(1860)に開校しました。
建物は、三ノ丸にあった重臣内藤蔵人の住まいを改造したものです。そのうちの表側の二棟が、昭和48年(1972)に史跡に指定されて保存されており、向かって右側が教場、右側が生徒控所と寄宿寮です。教場の左奥にある「聖廟」と呼ばれる部屋に、孔子や孟子など5人の儒教の聖人が祀られています。
藩士の男子子弟は8歳になると、進徳館で学ぶことを義務付けられました。授業は、儒学を中心とする漢学のほかに、武術・兵学・算学を教え、明治時代に入ると洋学も教えました。
進徳館は廃藩置県で高遠県学校になり、明治5年(1872)に廃校になりました。進徳館の存続期間はわずか13年でしたが、多くの優れた人材を育てました。
東京音楽学校長・東京高等師範学校長・貴族院議員等を歴任した伊澤修二(1851~1917)は、創設の際に9歳で入学し、15歳で寮長になりました。当時の年少の藩士の子弟が、どんなに熱心に漢学や習字を学んだかを、高遠町歴史博物館に展示されている彼らの作品から知ることができます。
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