top of page
高遠城址公園碑
「高遠之城 拠信山東陬」(高遠の城は信山の東陬に拠り)で始まる楷書の碑文は、東宮侍講、三島毅の名文で、地理的歴史的考察を踏まえ、公園地に決定されるまでの沿革が記されています。
碑文は明治の三筆と言われた書家、巌谷修(一六)の書で、その子、巌谷小波は日本のアンデルセンと称された明治の児童文学者です。
父子ともども高遠と縁が深く、鉾持桟道には小波の句碑が建てられています。
公園碑が建てられたのは、明治14年(1881)、台石には青銅板がはめられていて、それには明治維新の際、高遠藩から戊辰戦争に出征した年月や方面、人名が刻字されていましたが、戦時中に亡失しています。
bottom of page